古い犬雑誌を見ていたらこんなコラムが載っていた。





筆者はアメリカ在住の日本女性。

メスのラブラドールを飼っている。

避妊せず生理の後、想像妊娠を繰り返したあげく胸に腫瘍が出来て二歳の時に乳房を二箇所切除。

それでも、いつか繁殖しようと思い避妊手術は行わずに年月が過ぎた。

自分が婦人科系の病気になって、初めて「娘」の想像妊娠が切なく思え再び獣医師に相談。

獣医師は、もう若くない犬がこれ以上苦しまないために卵巣摘出をすすめ、やっと飼い主は決心をする。





だが筆者は・・・

人間は医師と相談出来る。

手術するも、しないも自分で望む選択ができる。

なのに、どうして自分は「娘」の体から臓器をバンバン切り取る選択をしているのか?


・・・と割り切れない思いにとらわれる。








以下は私の個人的な意見。

筆者のような考え方がまかり通っているのは百も承知だ。

だが、はっきり言いたい。

この筆者は勘違いしている。

犬は人間に飼われたその瞬間から管理されるべき動物となる。

犬は人間と同様の「意志」は持っていないのだ。






犬は人間のような思いで、子供を作って生むのでは無い。

全ては犬の本能のなせる技だ。

だから「避妊手術が可哀想」だと言う概念は、人間が思っているにすぎないのだ。






だいたい、飼い主が臓器切除の選択する事を疑問に思うのなら、飼い主の意思でする繁殖に対して疑問はないのか?







人間社会で生きていかせようと思うのなら、たとえ自然の摂理に逆らう行いをしても犬の健康を「管理」していくのが飼い主の責任だろう。


避妊手術を可哀想と思うのなら、犬を「飼わず」に無人島でも買って、犬を放してやったらいい。

誰にも邪魔されず自然のままに生きていける。









私は獣医院での経験を通して、高齢での避妊手術がいかにリスクを伴うか嫌と言うほどわかった。

卵巣や子宮の病気になってからの手術で、危篤になったケースを何度も見た。

「自然」で居ることのリスクは決して低くない。









飼い主は、自分の感情を犬に置き換えて想像することが多い。

でもそれは間違っている。

人間がおいしいと思う食べ物を犬にやり続ければ、犬は必ず病気になるだろう。

本当に犬のためを思うのなら、やるべき事とやってはいけない事を深く考えるべきだ。

それが出来ない人には犬を飼う資格は無い・・・と思う。










シマシマ元ちゃん。


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