母が亡くなって明日で3週間になります。

沢山のメールやメッセージをいただき、ありがとうございました。

まだ、ご連絡できてない方々、申し訳ありません。



母は3月25日の朝、駅のホームで倒れ、病院に運ばれましたが数時間後に亡くなりました。

私は朝5時前に危篤の連絡をもらいました。

遠いドイツからは間に合うはずも無く、翌26日朝日本に着きました。

家に帰ると、母はいつものベッドに穏やかな寝顔で横たわり、亡くなった事がにわかに信じられませんでした。




急性大動脈解離と言う病気でした。

持病はあっても心臓や血圧とは関係無く、数日前に大きな病院でいろいろな検査をしていたので、かかりつけのお医者様も母死亡の知らせに、言葉を失っていらっしゃいました。




外国に居ればこういう可能性もある、とわかっていはいましたが、まさか本当にこんなことになるとは・・・

今は運命の残酷さに打ちのめされるばかりです。




母は長年一人暮らしでした。

私は一人っ子なのに外国に住むと言う道を選び、本当に親不孝な娘だったのです。

私に泣き事は一言ももらさなかったけれど、本当は胸が張り裂けるほど寂しかったのだと思います。

遺品を整理すると母の手帳から、漢字もろくに書けなかった幼い時、私が書いた母の日のカードが出てきました。

そこには、つたない字で「私が大きくなっても一緒に住もうね。」と書いてありました。

そんな物を後生大事に持ち歩いていた母の胸のうちを思うと、自分の愚かさが本当に恨めしいです。




母は一人で老いて行く寂しさと戦っていたのに、私はやさしい言葉一つかけるわけでもありませんでした。

もっと一緒に居ればよかった、もっと優しくすればよかった・・・

今、私は深い後悔の海に溺れています。

でも、どんなに悔やんだところで、もう何も出来ません。

この辛い思いは、母を省みなかった冷たい娘へ神が与える罰なのでしょうか。




長旅を終えて帰国しても、もう家で待って居てくる人はいなくなってしまいました。

何を見ても思い出がいっぱいで辛く悲しいけれど、これから私は一人頑張らなければなりません。

いろいろな手続きをして、遺品の整理をして、やがてドイツに戻ります。

几帳面な人だったから、後始末をきちんとして行かなければ。

それが私に出来る最後の親孝行になっていしまいました。




夫は数日前ドイツに戻りました。

三頭は元気にしています。


最後に個人的なメッセージです。

道子さん、メールありがとう。

何度返信しても戻ってきてしまうのです。出来たらまた連絡ください。